ワンネス 419号  2008/07/06発行

親子で力をあわせ
菊陽町東部町民センター

 菊陽町東部町民センター(冨永悦子所長)では、小学生と保護者がスポーツを通じて親睦と交流をしようと第31回菊陽町東部町民センター親子ビーチバレーボール大会が6月22日(日)菊陽町民体育館で行われ、9チーム134名が参加し、スポーツでさわやかな汗を流しました。
 開会式では上中代チームの阪本千尋さんと東 舞依さん(菊陽中部小6年)が「ビーチバレーボールを通してお互いを思いやる心を持ち、住み良い町づくりをするため親と子が仲良く、参加者みんなが楽しくプレーすることを誓います」と選手宣誓。
 試合は、3セットマッチの2セット先取で行われ、1セット目は子どもたちのビーチバレー、2セット目に大人のミニバレー、勝敗がつかなければ3セット目は子どもたちのビーチバレーが行われました。
 親子で参加した栗原純子さん(大堀木区)は「日頃運動をしないのでとても楽しかったです。地域の方とも仲良くなれ参加して良かったです」と話されました。

 

 タイトルのとおり親と子が力を合わせないと勝ち進まない大会でした。「私たち勝ったから大人も頑張って!」という応援もあちらこちらから聞かれプレッシャーのかかる大会でもありました。出場選手の皆さんお疲れ様でした。


ちゅーたろうくん
     あぶないよよ!

さくら園保護者会

 子どもたちを交通事故から守ろうと、6月14日(土)菊陽町立さくら保育園(日野直子園長)で同園保護者会(藤川 恵会長)主催の親子交通安全教室が開かれました。
 今回は佐川急便の協力を得て、社員の方11名がミニ信号機などを持って来園。ネズミのちゅーたろうくんとイヌのわんたくんが登場し、横断歩道を渡ってみせました。ちゅーたろうくんが赤信号で飛び出したため車にはねられてしまい、子どもたちはビックリ。正しい渡り方を教えてもらったり、車のウインカーやバックライトの意味を教えてもらったりしました。4体の着ぐるみも登場し、楽しく交通安全を学びました。
 ばらぐみの井上まなみさんと下瀬ちひろさんは「ちゅーたろうくんがはねられてこわかったです!横断歩道のわたりかたがよくわかったよ」と話してくれました。

 

 たくさんの着ぐるみやちゅたろうくんにお土産ももらってこどもたちは大喜びでした。(岩田)


田んぼで学ぼう!
田んぼの学校

 6月22日(日)下津久礼区みらい大橋下の田んぼで、白川中流域水土里ネット協議会の主催の「田んぼの学校 in 白川中流域」の田植えがあり、熊本市内の親子や青葉台区と下津久礼区の子ども会親子が参加しました。
 みらい大橋公園に集合した親子ら120名は、開会式の後、坂田隆成下津久礼区長から稲の苗の植え方を聞きました。その後、20アールの田んぼに恐るおそる入り、一列に並んで縄のしるしに沿って田植えを体験。下津久礼子ども会吉本孝寿会長は「農家の子どもも多いですが、田んぼに入ることはあまりないですね」と話し、子どもたちは泥に足を入れ「ぬるぬるする〜」と言ったり尻もちをついたりして歓声を上げていました。
 田植え後は、地下水涵養の話を聞いたり馬場楠堰や鼻ぐり井手を見学し、お米を作る田んぼと水について勉強しました。
 参加した渕上水貴さん(菊陽中部小5年)は「田植えは泥で遊んでいるみたいで楽しかったです」吉村春香さん(同6年)は「カエルがいてびっくりしましたが、秋の収穫が楽しみです」と笑顔でした。

 

 前日は激しい雨でしたが田植え時はちょうど雨があがったので楽しく田植えができていました。(岩田)


また遊びにきてね♪
むさしがおかじどうかん母親クラブ

 むさしがおかじどうかん母親クラブ(赤星 睦代表)のママと子どもたちが6月20日(金)、菊陽町の介護付有料老人ホーム「陽かりの郷」を訪ね、入居者と一緒に歌ったり踊ったり楽しいひとときを過ごしました。
 子どもたちは少し照れながらも、アンパンマン体操やカエルの歌などを披露すると、集まったみなさんから「上手ね、かわいいね!」と声がかけられました。
 ママと子どもたちはこの日のために手作りのペンダントを用意し、入居者一人ひとりにかけてまわると「嬉しかね、ありがとうございます」と喜ばれていました。
 菊陽杉並台区の神野そらちゃん(2歳)は「おばあちゃんとじゃんけんしたよ」と嬉しそうに話し、玄関までお見送りに来てくれた入居者と名残惜しそうに握手をして、またの来訪を約束して帰りました。

 

 外は大雨でしたが子どもたちの無邪気な仕草と入居者の方たちの笑顔が印象的でした。(井野)


  (26)  三里木区  たわらや酒店  宇野功一

君 知るや 銘酒

■「赤がわら屋根」

 6月下旬に沖縄に行く機会がありました。沖縄の地酒といえば「泡盛」です。泡盛についてご紹介したいと思います。
 梅雨がひと足早く明けた沖縄はすでに夏まっさかり。那覇空港にほど近い那覇市小禄にある小さな泡盛の蔵を訪ねました。創業は戦後まもない昭和21年。現在はすっかり住宅地になってしまったが、酒蔵が生まれたころは辺り一面焼け野が原であったそうです。戦後まもない時、物資が少ないころにできただけに、素朴な感じの木造の蔵で、赤がわら屋根に漆喰のスタイルはいかにも琉球を彷彿させてくれます。酒蔵は道路沿に面しているのですが、一段下がったところにひっそりとたたずんでいるため、案外酒蔵とは気が付かず通り過ぎてしまいます。酒蔵の看板もいっさいなく、商売色がまったくありません。
 私と友人のN君と2名で赤がわら屋根の蔵をたずねると、三代目当主 宮里 徹氏が待っていてくださいました。蔵は冷房の設備がいっさいなく、扇風機がプルプルと音を立てて回っており、天井が低い蔵でした。

■ 焼酎の原点は泡盛にあり

 N君にとって泡盛の蔵を訪問するのは初めて。コンピュータープログラマーの彼はもともと好奇心が旺盛。現在も伝統的な手づくりで造られる蔵を訪問して、N君の目が輝きました。見るもの全てが目新しく、若い蔵人に質問攻め。
 沖縄はその昔、琉球王朝がありました。首里のお城に王がいて、まつりごとに泡盛を使っていたそうです。
 泡盛の原料となるものは米です。私たちが食している米(ジャポニカ種)とは少し違っています。泡盛の原料に使われるのはインディカ種といって長粒です。まつりごとに使う大切な酒だからこそ、五穀の中で最も高価な「米」を原料にしているのだそうです。宮里氏は「ヤマトの米は品質がよい。けれども高い。うちな〜(沖縄)でも米は獲れるけれど、量が少ない。沖縄は海洋国として、貿易で栄えた歴史があり、中国やタイから安価なタイ米を輸入してきて、泡盛を醸してきた歴史がある」と話されました。
 宮里家は代々泡盛を醸してきました。昭和50年に開催された沖縄国際海洋博覧会の際に、当時の皇太子殿下(平成天皇陛下)に献上された泡盛を造りました。平成12年の沖縄サミットでは、首里城内で催された晩餐会にて各国の貴賓に泡盛が振舞われました。この晩餐会のためにブラインドテイスティングで行われた選考会にて、泡盛「春雨」は主席(第1位)となりました。
 琉球には日本よりはるか昔に蒸留技術が伝わり、黒麹によるもろみ造りが編み出され、泡盛が生まれました。原料が「米」そして「黒麹」、きっと熊本の方の嗜好にかなっているように思います。私たちが飲んでいる焼酎のルーツは泡盛にあります。沖縄に来て、そう実感した旅でした。


  お笑い芸人  風犬ナンジャ

 菊陽町出身で、人気上昇中の若手お笑い芸人「風犬(かぜいぬ)ナンジャ」に聞きました。

( 「梅」は梅太郎くん、「江」は江口くんの略)

◆結成のきっかけは
梅 お笑いをやりたくて、21歳の時会社を辞めて江口君に連絡しました。
江 ずっと映画監督になりたかったのですが、厳しく、芸人で売れれば映画が撮れる!と思いました。

◆ふたりの役割は
梅 ボケ担当で、ネタを書いています。
江 ツッコミ担当で、営業係です。

◆武蔵ヶ丘中学校出身ですね。どんな中学生でしたか
梅 生徒会長でした!変な目立ちたがりのところがありました。
江 友人がいっぱいのスポーツマンでした。陸上部で体育委員長をしたり体育祭の団長もしました。

◆これからは
梅 ズバリ!M1目指しています!あと5年以内には準決勝以上に進出したいです。
江 熊本は芸人が多い土地柄なので、後に続きたいです!

◆地元菊陽町の皆さんに一言
梅・江 テレビではTKU「若っ人ランド」にレギュラー出演中なので皆さん見てください。また、僕たち若手芸人のライブ「先笑ライブ」を見に来てください。夏祭りにも呼んでくださいね!


津久礼ヶ丘区  松村光興さん  61歳

 今年4月より区長をすることになりました。マンションの住人の方の若い力とエネルギーをもらって若返りの区に蘇らせたいと思います。いろんな行事を通じてコミュニケーションと親睦を計り楽しい区にしたいと思います。ご協力のほどよろしくお願いします。

桑原 明日香(あすか)さん 2歳 沖野区

長ぐつ好きな女の子です。畑を走りまわるのが大好きです。


  楽しかった1泊旅行
             合志杉並台若草会

 合志杉並台老人クラブ若草会では5月12日(土)13日(日)に天草へ春季一泊研修旅行に行ってきました。2日目はギター和尚で有名な向陽寺で痛快説法を聞き、遊覧船で五橋巡りをして帰ってきました。とても楽しい旅行となりました。