ワンネス 472号  2009/08/02発行

レッツ!ボウリング
北新山班

 7月12日(日)新山区の北新山班自治会(上野量三班長)企画によるレクリエーションが菊陽ボウルと白鈴公民館で行われ楽しい一日を過ごしました。
 菊陽ボウルで行われたボウリング大会には班内17ブロックから113名が参加。ブロック対抗戦が行われ15レーンを使い4ゲームを楽しみました。スペアやストライクが出ると「やった−」「わーすごい!」と歓声があがりハイタッチで喜び合い、場内は熱気と興奮で賑いました。
 班長の上野さんは「今年はボウリングでコミュニケーションを図れたらと計画しました。たくさんの参加がありうれしく思います。公民館で表彰式をかねた親睦会もあります。楽しんでくれるといいですね」と話されました。
 参加した高宮泰子さんは「ボウリングは32年ぶりです。ご近所の方たちと一緒に楽しんでます」と笑顔でプレー。
 白鈴公民館で表彰式が行われ、全員に記念品が渡されました。またお弁当を頂きながら親睦を深めていました。優勝した7ブロックの長山晴幸さんは「最高です!最高齢チームですが歳は関係なかですね。来年も続けてほしいです」と喜ばれました。

 

 

ボウリング大会は子どもより大人の皆さんが上手なのにはビックリ!とても楽しそうでした。(井野)


罪や非行を繰り返させない!
菊陽町社会を明るくする運動

 7月18日(土)菊陽町図書館ホールにおいて平成21年度菊陽町社会を明るくする運動推進大会が行われました。
 講師に、熊本県菊池福祉事務所子ども相談員の古閑將昭さんが「児童家庭相談室から」と題し、相談件数や虐待相談の現状などについて講演。また熊本保護観察所統括保護観察官の星田信夫さんが「地域社会と更生保護」と題し講演を行いました。
 この運動は、すべての国民が犯罪や非行の防止と罪を犯した人たちの更生に理解を深め、犯罪や非行のない明るい社会を築こうとする全国的な運動で、講演会にはたくさんの町民が参加しました。

 

 


学校で泊まったよ!
菊陽中部小学校4年生

 7月18(土)19日(日)に、菊陽中部小学校(田嶋義法校長)で4年生の校内キャンプが行われました。
 4年生3クラスの子どもたちと保護者が参加。最初に3班に分かれて、1班は家庭科室で夕食のカレー作り、その他の班は体育館で親子ドッジボール大会となりました。
 家庭科室では、子どもたちは交代で調理にあたり、150人分のカレーを作り上げました。体育館では、保護者チーム対子どもチームの対戦となり、強いお父さんにボールが当たると「イエ〜イ!」と子どもたちは歓声をあげていました。ドッジボールに参加した相馬伸也さん(下原区)は「子どもたちがだんだん強くなってきました」娘の綾乃さんは「ボールが当たって痛かったけどがんばりました」と汗を拭きながら話してくれました。
 夜には、おまちかねの肝試しもあり、体育館に泊まりました。子どもたちの元気な声が響いた楽しい2日間でした。

 

 


練習の成果を見て下さい!
大正琴の集い

 7月20日(月)菊陽町ふれあい交流・福祉支援センターで星子教室大正琴の集いが行われ、大正琴を習う受講生たちが練習の成果を披露しました。
 講師の星子愛子さんは大正琴を菊陽町東部町民センターや菊陽町武蔵ヶ丘コミュニティセンターなどで指導しています。発表会では昔懐かしい「大阪ラプソディー」や「真赤な太陽」など、子どもたちのグループは「崖の上のポニョ」などを演奏し、音楽のひとときを楽しみました。
 吉岡麻菜実さん(武蔵ヶ丘北小6年)と一柳和花さん(武蔵ヶ丘小6年)は「緊張して手が汗びっしょりでしたが上手に弾けました」と話してくれ、スイートピーの吉野昌子さんは「年に1回皆さんと会える喜びと演奏の成果を拝見できる機会なので発表会を楽しみにしていました」と話されました。
 午後からはグループごとにリズムダンスやフラダンス、カラオケなどの出し物もあり賑わいました。最後に全員で「炭坑節」を踊り発表会を終了しました。

 

 

 武蔵懐かしい曲から子どもたちの元気な曲まで大正琴の演奏が聴けて楽しみました。(谷川)


  

(39)  三里木区  たわらや酒店  宇野功一

ラジオ体操と吟醸酒

◆ ♪新しい朝が来た〜
 夏休みになると午前6時30分、近くの公園で「ラジオ体操の歌」が聞こえてきます。世代を超えた懐かしさすら感じるものですね。実はこのラジオ体操の歌は1956年(昭和31年)から採用されて現在に至ります。藤浦洸作詞・藤山一郎作曲。この歌で実は三代目なんだそうです。初代のラジオ体操の歌は昭和6年、二代目は昭和26年に発表されています。私は初代も二代目も全く知らないのですが、きっとご家族の長老のおじいちゃん、おばあちゃんは知っている方もいらっしゃるのではないかと思います。

◆ ラジオ体操と吟醸酒
 ラジオ体操と吟醸酒全く無縁の両者ですが、実は関係があるのです。強引なこじつけかも知れませんが。ラジオ体操のルーツは、旧逓信省簡易保険局が制定した「国民保険体操」が原型といわれています。国民の健康増進を目的として、1927年(昭和2年)にラジオ体操の実施を決定して、翌年の1928年(昭和3年)11月よりラジオ体操がスタートしました。81年の歴史があったんですね。
 ラジオ体操が始まった昭和3年ごろ、現在の酒質とほぼ同じような吟醸酒が生まれました。吟醸という言葉は、明治時代からあったようです。江戸時代から明治・大正時代にかけて、精米は水車精米や脚こぎ精米が主流でした。この精米方法では、米を磨いたとしても1〜2割程度しか磨けません。精米歩合が90〜80%ということになります。
 現在の吟醸酒は60%以下にまで米を磨きます。究極の精米歩合は現在25%とも言われています。外側の部分を糠にして、米の芯だけで仕込む吟醸酒はまさに贅沢の極みです。このように高度に米を磨けることができるようになったのは、昭和初期に広島で佐竹利一氏が精米機を開発してからです。現在も「サタケ」という精米機メーカーがあります。これによって米を60%まで精米することが可能になりました。
 ラジオ体操が始まったころ、吟醸酒が誕生したのです。

◆ 戦争そして吟醸酒復活
 吟醸酒が何故誕生したか、それは戦前に隔年開催で全国清酒品評会が開催され、全国の蔵元がこぞって特別に仕込んだ吟醸酒を出品して、品質を競いました。より米を磨き、より低温でじっくり醗酵させて、美味しい日本酒を醸す。そしてそこで培われてた技術を市販酒にフィードバックさせる。このことで、全国各地の日本酒の技術は短期間にめきめき成長したのです。
 悲しいことに昭和13年・第16回全国清酒品評会を最後に、吟醸酒を仕込むことができなくなりました。お米を高度に精米することが禁止されたのです。戦時色が強くなり、全国の決まった蔵元が、少量の清酒を醸すだけで、大半の中小の蔵元は一時休業となりました。
 戦争も終わり、全国各地の蔵で日本酒が製造できるようになりました。が、米が不足して、極度に磨く吟醸酒を仕込む蔵は少なく、仕込んだとしても市販することはなく門外不出の酒でした。昭和40年後半になるとようやく吟醸酒の市販化が進みます。
 先人たちが、究極の美酒を追求して仕込んだ吟醸酒。その究極の香味を味わえるのは「平和」であるからだと思います。昭和13年に絶えて、以後、吟醸酒が飲まれるようになるのは、昭和50年代です。当たり前に市販されている吟醸酒ですが、また吟醸酒が造れない時代が来ないことを私たちは不断の努力でもって守っていかなければならないと思います。(今年の終戦の日を迎えるにあたって私の思うことです)


 若松 航(わたる)くん  3歳  新山区

 電車が大好きです。今日は児童館でままごとあそびもしました。
 元気で大きくなってね。 ママより


〜参加チーム紹介〜

SCきくようジュニアバドミントン

監 督  丸山 裕さん
コーチ  古財泰三郎さん
部員数  25名

◇キャプテンから一言◇
 今まで練習してきたことを、試合で出しきってチーム全員が結果を残せるように頑張りたいです。
八岡智萌さん 武蔵ヶ丘小6年

 


ぶどうの葉でグリーンカーテン

 マスカットとデラウェアのぶどうの葉っぱがお庭のデッキテラスに優しい陰を作っています。また、瑞々しいマスカットがたくさん実をつけ、さらに涼しさを演出。
 政岡さんは「グリーンカーテンの下は涼しいですよ。部屋の中にも心地よい風が入ります。消毒や袋かけもしていませんが、甘いぶどうがたくさんできて一石二鳥。毎年楽しんでます」と話されました。


 趣味は、@頭の体操に「囲碁」A健康維持のため「卓球」B忍耐と体力の限界に挑戦「山登り」です。
 4月からあさひヶ丘区の区長を引き受けました。地域行政についてはまったくの素人ですからどれだけお役に立つか分かりませんが、区の皆様方と一緒に、活力のある住みやすい地域づくりに努力したいと思います。


        万引き多発!

 大津署管内の大型店舗やコンビニ等で万引きが多発してます。6月は大津署管内では18件で、県下第2位になっています。
○だれも見ていないし、いいだろう
○みんなでやれば怖くない
など安易な考えが、万引きという犯罪につながっています。万引きがエスカレートして強盗につながったケースもあるのです。
皆さん一人ひとりで、犯罪のない町をつくっていきましょう。
大津警察署生活安全課 294-0110