ワンネス 745号  2015/02/01発行

天高く燃え上がれ
西小いいハートデー

 菊陽西小学校PTA主催の「西小いいハートデー」が1月11日(日)同校グラウンドと体育館で行われ、同小児童や保護者、地域の方たちが多数訪れました。
 午前9時、PTA役員や西校区老人会メンバーが前日午後から力を合わせて作ったどんどやに点火。高さ約15mのどんどやがあっという間に火柱をあげて燃え上がり、参加者はバーンという竹のはじける音にビックリしました。おき火になったらお餅を焼いておいしくいただきました。今年から親父委員会が中心となって餅つきが復活。子どもたちは元気に餅つきを楽しみました。また、グラウンドでは羽子板や竹馬などの昔遊び、体育館ではカローリングなども体験でき親子で楽しんでいました。
 ちょんかけごまに挑戦した銀月くん(1年)は「教えてくれたおじちゃんが手伝ってくれたので回すことができました」とうれしそう。一樹くん(4年)優月さん(6歳)の兄妹は「スライム作りはおもしろかったよ」と話してくれました。
 午前11時からはカレーやぜんざい、焼きそばなどの食バザーもあり、楽しい一日となりました。

 

 


新年おはなし会
おはなしの森さんさん

 図書館ボランティアおはなしの森さんさんの朝のおはなし会が毎月第1、2水曜日午前11時から菊陽町図書館おはなしのへやで行われています。
 1月7日(水)は、中村さんによる読み聞かせや手遊び、歌もあり、来場した子どもたちは目を輝かせて聞いていました。この日は七草粥の日。中村さんが七草粥の由来などを説明すると若いお母さんたちは勉強になっていたようでした。
 親子で来場したりんかちゃん(4歳)れいなちゃん(2歳)は「絵本が楽しかった」と笑顔。お母さんの由利子さんは「幼稚園に行き始め絵本に興味を持つようになりました。今日は2人とも楽しそうでした」と話されました。

 

 


一年の始まりはどんどやから

 下津久礼区

  下津久礼区のどんどやが1月11日(日)午後1時から同区グラウンドで行われました。
 菊池広域連合南消防署署員の指導で、水消火器を使った消火訓練が行われたあと、区民のみなさんが近くの竹林から切り出した竹や木、正月飾りなどで組み上げた、高さ15mほどのどんどやに綾乃さんと維咲さん(ともに小5)が点火。大きく燃え上がる炎に無病息災・五穀豊穣を祈りました。
 どんどやが燃え落ちると、子ども会のお母さんたちが用意したぜんざいに、おき火で香ばしく焼かれた餅が入って準備完了。所々で炎を上げるどんどやを囲む参加者に振る舞われました。

   

  

 緑ヶ丘区

  1月11日(日)緑ヶ丘区のどんどやが同区公園で行なわれ、今年も多くの区民が参加して賑わいました。
 公園のあちこちで新年のあいさつを交わす姿が見られる中、用意された200人分の豚汁、ぜんざい、馬スジ入りのおでん、熱々の焼き芋などが区民に振舞われて、暖かくもてなしました。どんどやの周りには、子どもたちが集まり、燃え上がる炎や、大きな音ではぜる竹に興味津々。大人たちから「プラスチックは外して」「火のついた竹を人に向けるなよ」と注意を受けながら、楽しそうに焚き火を囲んでいました。夏希くん(小4)は「煙が目にしみたけど面白かったよ」と息を弾ませて話してくれました。


(103)  三里木区  たわらや酒店  宇野功一

日本のウイスキーおもしろ文化考B

■酒は平和の使者
 NHK朝ドラ「マッサン」。舞台は北海道余市。マッサン著・「ウイスキーと私」の本の中に、こんなことが書いてある。
『ウイスキーをつくる仕事は、何年か先を目標にする気長な事業である。ウイスキーづくりに適した土地で、よい原酒を時間をかけて育てるのであるが、熟成するまで事業が、もちこたえるかどうかに、可否がかかっていた』と。
 昭和9(1934)年、大日本果汁株式会社は産声をあげる。ウイスキー造りの資金稼ぎのために、名産のりんごをジュースとして売り出そうというのであった。マッサンは、ジュースにもこだわった。フランス製の濃縮機を使って、真空低温濃縮をして、100%のジュースを1本30銭で売り出した。北海道内のめぼしい病院には受け入れられたものの、内地では苦戦したという。時代はラムネやサイダーの全盛期。価格の高い本格りんごジュースは苦戦。また、余市から船便で送った商品が、途中でラベルがカビたりして、商品とならなかったこともあったようだ。
 昭和11(1936)年の秋からウイスキーの蒸留が始まった。昭和6年に柳条湖で起こった日華事変を皮切りに混沌とした戦争の足音が日に日に大きくなった時代。同年2月には226事変がおこり、人々の自由が奪われた時代であった。酒を愛でる時代ではなく、総力をあげて、世界戦争に巻き込こまれようとしていた。
 嗜好品というのは、ほんとうに平和で、穏やかな日常がないと楽しめないものだ。酒も嗜好品だ。酒が今日のようにたしなめる日常を願って、マッサンはウイスキー蒸留機に火を灯したであろう。酒が平和の使者だからだ。

■大戦そして戦後
 ジュースをアレンジして、ゼリーをつくり、アップルワインを醸造した。アップルワインはマッサンの会社の黎明期を救ったと言われる。現在もその商品はニッカの製品群の一つとなっている。
 昭和15(1940)年、ニッカウヰスキーの第一号が産声をあげた。酒名は大日本果汁の字から「日」と「果」をとって「ニッカ」とした。字数が短く、横文字にしても語呂がいいことからだとか・・・。
 発売後、まもなく、ウイスキーは統制品となり、余市工場は海軍の指定工場となり、原料の大麦は配給を受けていたので、原酒は次第と増えていった。原酒は悲劇の歴史の中を静かに生き続けたといえよう。
 昭和20(1945)年8月終戦。まだまだ本物のウイスキーは売れない時代。イミテーションのウイスキーが闇市で売れた。一番売れた酒は、密造の「バクダン」「カストリ」であったという。
 バクダン・・・メチルアルコールの入った酒。中毒となり失明する者もいたという。
 カストリ・・・酒粕を蒸留した酒。バクダンほど毒性はないが、強烈な臭いを発した粗悪な酒。
(次回最終回・・・マッサンが目指した酒質は未来志向です。)


綱引きともぐら打ちを楽しむ
大堀木区

 大堀木区子ども会(宮本 茂会長)の「十五夜の綱引きともぐら打ち」が1月11日(日)行われ楽しい一日を過ごしました。
 午前9時、区のグラウンドで長さ約10mの綱を練り、出来上がった綱を子どもたちの手で菅原神社に奉納、お神酒をあげました。このあと、グラウンドで綱引きを行い、大人対子どもなど、何度も綱を引いていました。
 参加した上野 楓さん(4年)は「福岡から転校してきて今年初めて参加しました。戸惑うこともありましたが、楽しかったです」と笑顔。矢野 楓さん(4年)は「綱引きは、手が痛いほど力いっぱい引きました。もぐら打ちは、男の子と女の子に分かれ家庭を一軒一軒回り、大きな声で『十三日のもぐら打ちは田畑行け』と言いながら地面を叩きました。頑張りました」と元気いっぱいでした。

 

 


綱引きともぐら打ちを楽しむ
津留区

 津留区(阪本茂春区長)で「十五夜の綱引きともぐら打ち」が行われました。
 1月12日(月)は十五夜の綱引きが行われ、午前9時、区のグラウンドで綱を練り、長さ15m程の綱が出来上がりました。今年は「伝統を受け継いでいかなければいけない」と、若いお父さんたちの手で練り上げました。出来上がった綱を天満宮に奉納、お神酒をあげました。
 このあと、地蔵堂前で、消防団対子ども、お母さん対子どもなど何度も何度も綱を引いていました。13日(火)には午後6時からはもぐら打ちもあり、子どもたちは各家庭を回り「十三日のもぐら打ちは田畑行け」と掛け声をかけながら、地面を叩きました。
 子頭の阪本遥人くん(中2)は「これで行事からは卒業です。これからもずっと続けて欲しいです」と話しました。

 

 



チラシを利用した一輪挿し

 三里木区の森 茂さんは、新聞に入るチラシを利用し、一輪挿しや鉛筆立て、つまようじ入れを制作しました。
 作り方は、チラシを正方形に切り、竹ひごでくるくる巻き、ビール缶に輪ゴムを付けそこへ巻いたチラシをはめ込み糊で貼り付け、きれいな糸で結び、高さを調節して完成。森さんは「ビールの空き缶やヤクルトの容器を利用しました」と話していました。
 作品は熊日菊陽販売センターに展示中です。

  

 


編集後記

1月中旬からインフルエンザが大流行しています。家に帰ったら手洗いやうがいを入念にして、かからないように予防しましょう。(N.T)