ワンネス 749号  2015/03/01発行

ロービジョン
フットサルを体験

武蔵ヶ丘中学校サッカー部

 弱視者が行うサッカー「ロービジョンフットサル」の日本代表監督齋藤友規さんが、2月1日(日)武蔵ヶ丘中学校サッカー部1・2年生を対象に講演と実技指導を同校で行いました。
 齋藤さんは熊本市出身。小学校4年からサッカーを始め、強豪国府高校サッカー部での指導者との出会いから、教員を志望。高校や大学、教員時代にボランティアで障がい者とサッカーで交流した経験を買われ、昨年からロービジョンフットサル日本代表監督に就任しました。
 齋藤さんは、全盲や弱視の障がい者のサッカーについての説明や、自身の体験から「サッカーは信頼関係を築き、みんなでやるスポーツ」と講演。その後、生徒たちは、体育館でアイマスクをつけたり弱視体験ゴーグルを着けたりしてプレー。「全然見えん!」と不安の声をあげたり空振りしたりと、貴重な体験をしました。
 悠斗くん(2年)は「弱視体験ゴーグルは視野が狭く、難しかったし怖かったです。見えているのが当たり前じゃないことが分かりました」と話してくれました。

 

 

 


元気いっぱいの発表会
菊陽町東部町民センター

 菊陽町東部町民センターの第31回発表会が2月8日(日)同センター多目的ホールで行われ、講座生が学習の成果を発表しました。
 ステージでは、三味線や健康体操、ひょっとこ踊りなどが披露され、会場からは大きな拍手が送られていました。また、ホールの壁には小学生書道教室の作品などが展示されました。
 孝太くん(小3)は「習字と英語を習っています。楽しいです」と話し、ミニデイサービスに来ている田島さんは「音楽に合わせて気持ち良く踊りました」と笑顔でした。

 

 


命に感謝して
「いただきます」

菊陽町青少年健全育成町民会議

 菊陽町青少年健全育成町民会議家庭部会の食育研修会が、2月2日(月)菊陽町中央公民館で行われました。
 講師は大分県佐伯市蒲江町で、ブリやカンパチの養殖を営む漁師の村松一也さん。明るく豪快な笑顔と、飾らない大分弁で受講者を笑わせながら、ブリの養殖の様子や、地元の小中学生に自分たちで調理して食べることにより、「命をいただく」ことを実感させることの大切さなどを熱く話されました。講演のあとは、7sのブリを使った調理実習。「お刺身」「ブリ大根」「熱メシ(醤油ダレに浸けたブリの切り身を乗せた丼)」の3品を作りました。
 村松さんは手際よくブリをさばきながら、適切な包丁の使い方や、魚をより美味しく食べるための保存方法などを説明。参加者は、捨てる部分がほとんど無かったことに感心していました。

 

 

 


待ち遠しい春
菊陽町歩こう会

 菊陽町歩こう会は、2月9日(月)に「福岡篠栗南蔵院ねはん像・櫛田神社参詣と山川お座敷盆梅日帰りの旅」を行いました。
 世界最大のねはん像に参ったあと、「お櫛田さん」の愛称で親しまれる博多の総鎮守・櫛田神社に到着。その口を通って参拝すると「福」がもたらされるという「大お福面」を参加者全員がくぐり、参拝しました。昼食には、神事の直会に欠かせない水炊きを老舗専門店で頂き、寒さを吹き飛ばしました。
 また、山川梅花園では、百畳敷きの座敷に大小数百の蕾がいっぱい付いた梅鉢が並べられ、圧巻。夫婦二人で愛情いっぱいにお世話されていることに感銘を受けました。
文・写真提供 久保田昌生会長

 

 


  (104)  三里木区  たわらや酒店  宇野功一

日本のウイスキーおもしろ文化考C

■目指したものは本物志向
 終戦。原酒は古いもので十年を超えた。十分に熟成し、よいウイスキーができる下地ができていた。1949(昭和24)年、当時のウイスキーには級別があった。1級・2級・3級といった具合に。3級に至っては、「原酒が5%以下0%まで入っているもの」と規定。一滴の原酒も入っていないウイスキーがウイスキーとしてまかり通った時代であった。まさに、ウイスキーとは名ばかりの時代で、本物志向のマッサンには試練の時代であった。といっても、ニッカウヰスキーにも少なからず工員はいたし、それぞれの家族を食べさせねばならない。
 マッサンは考えた。原酒だけを造り、それを国内のウイスキー蒸留所に売り込む商いだ。原酒を全く入れていないイミテーションメーカーに良質な原酒を売り込めば、5%とは言え格段に品質のよい酒に仕上がるではないか。マッサンの高品質の原酒は引く手あまた。約30軒のメーカーから注文が殺到した。
 この収入で会社の経理は落ち着いた。が、当時は極端なインフレ時代。工員の給料もどんどん上がった。酒税もどんどん上がった。これをみかねた監督官庁の大蔵省や国税庁。国税庁初代長官・高橋衛氏は直接、マッサンを説得。
「あなたの理想はよくわかる。今の日本はまだまだ3級ウイスキーの時代。他のメーカーはマッサンの原酒を使って大衆市場を押さえて、儲けている。せっかくの原酒を持ちながらニッカがこけては、監督官庁として私は困る」と。
 長官からそう諭され、渋々3級ウイスキーを市販に踏み切るマッサン。1950(昭和25)年の春であった。1955(昭和30)年11月に古い原酒を生かしたゴールドニッカ、翌年ブラックニッカを相次いで発売。
 私見であるが、戦後、日本人の塩分摂取量が格段に減少する。一説には学校給食による影響が大きいと言われている。塩分摂取量が多い食べ物には甘口の酒が売れる。逆に塩分摂取量が少ない食べ物には辛口の酒が売れる。当時、日本酒メーカーは、「酒は甘くすれば必ず売れる」という方程式があり、日本酒はどんどん甘くなった。この趨勢は昭和が終わるころまで続いたように思う。燗さましの日本酒がベトベトしていた記憶はみなさまにもあったのでは。
 未来志向の若者(当時の団塊の世代)が市場を育てたのが、まさにマッサンの目指した本物志向のウイスキーであった。市場がマッサンのウイスキーを求め始めた1961(昭和36)年、妻リタが他界する。
 この夫婦がいなければ、ジャパニーズウヰスキーは生まれなかった。ウヰスキーは、マッサン夫婦の生き様であり、これからの時代も、ウヰスキーが嗜める平和な時代であって欲しいと願う。(おしまい)

マッサンの樽
  昭和49(1974)年ごろ、弊社にやってきたニッカ・ウヰスキー樽。きっとマッサンの工場で使われたものだろう。半切りにしてお酒の陳列棚として、現在も弊社で活躍中。マッサンは私の店で今も生きています。



身近に迫る危機!
危険ドラッグを知ろう

 菊陽町青少年健全育成町民会議の全体研修会が、2月7日(土)菊陽杉並木公園管理センターで行われ、「危険ドラッグ」について学習しました。
 講師は、菊池保健所衛生環境課の高木 剛さん。重大犯罪でもある薬物乱用を防ごうと、どんな薬物があるのか、乱用するとどうなるのかなどをスライドを使って説明。近年大きな問題となっている「危険ドラッグ」については、その販売形態や危険性について詳しく解説しました。高木さんは「乱用防止には学校や地域、家庭が連携し、地域社会の力を育てることが大切。薬物乱用は、家族だけでは解決できない問題です」と話しました。
 同町子ども会副会長の素乃己さんは「怖かったです。子どもたちが、名前に騙されて危険ドラッグを買わないか心配になりました。見かけたら相談機関に連絡しようと思います」と話してくれました。

 

 

 

 


 庭木に刺したミカンにメジロがやってきて、明るく楽しい春の歌を披露してくれました♪

 ワンネススタッフ 岩田敏子

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