ワンネス 1106号  2025/04/27発行

にぎやかに開催しました
地域交流祭

 菊陽町文化協会(川畑会長)主催の第19回地域交流祭が3月13日(木)、菊陽町図書館ホールで行われました。
 ステージでは、歌謡や日舞、民舞、フラダンス、マジックなどが披露されました。また、ロビーにはフラワーアレンジ、編み物、ポーチなどが展示・チャリティー販売されていました。会場では、募金活動もあり、集まった募金は菊陽町社会福祉協議会へ寄付されました。

 

 


気持ちのいい季節です
たゆやか

 障がいを持った方とその家族やボランティアさん達が一緒に遊びながら活動している「たゆやか」(南代表)はお花見を3月29日(土)、菊陽杉並木公園ふれあい広場で行いました。
 穏やかな晴天の下、ニュースポーツ「モルック」で楽しく遊びました。


ふれあいと交流の場
ふれあいの森さくら祭り

 菊陽町ふれあいの森公園と同研修センターで3月22日(土)、第17回ふれあいの森さくら祭りが開催されました。
 ステージ発表では菊陽北小学校大正琴クラブによる演奏やみどり園の園児によるダンス、コーラス、3B体操などが披露されました。特別ゲストとして、インストゥルメンタルデュオ「Viento」の素敵な演奏があり来場者は魅了されていました。また、研修センター内にはメディカルアロマやはじめてのパン教室、絵手紙など講座生の作品も展示されていました。

 

 


力作が並びました
東ヶ丘文化祭

 東ヶ丘区の第30回文化祭が3月2日(日)、同区公民館で行われました。
 会場には、写真や切り絵、掛け軸、洋裁、パッチワーク、ふれあいサロンの皆さんの作品など、たくさんの作品が展示されました。また、熟年会によるバザーや自治会役員の皆さんの喫茶コーナーもあり、来場者は癒しのひとときを過ごしていました。

 


モンゴルを再発見しよう
きくよう多文化クラブ

 きくよう多文化クラブ(田中代表)では2月28日(金)、菊陽町総合体育館会議室でモンゴル出身のエマさんご家族を迎えて「モンゴル再発見」の集いを行いました。
 厳しい自然環境の中、自然と融合し調和して伝統を大切に守りながら生きているライフスタイルに感心。また、小学校から高校まで授業料免除、特に広大な草原に住む子どもたちは小学校から寮に入るが全て無料、そして全国民の基礎的疾患は全額無料と、羨ましいほどの福祉が提供されていました。

 

 


  (63)竹の水仙

 私の噺の聴き始めはいわゆる本寸法の古典落語だったので、初めて柳家喬太郎の「竹の水仙」を聴いた時には本当に衝撃的でした。ともかく面白い!それからはネットで探したり落語会に行ったり夢中になったものでした。今はと言うと、ちょっと辟易気味です。人に誘われても他の出演者の顔ぶれによっては断るくらいです。頓田囃子七五三太氏のブログ「落語にわかファンの道」の同演目についての記事中に「ウケたい一心で、演る度に苦肉のギャグが増えていき」「キャラクター造形が極端になって」「新作みたいに噺を壊してしまった」(喬太郎著「落語こてんパン」より)とありますが、喬太郎の噺の本質(大袈裟だな)と、敬遠するようになった理由を的確に表しているかと思います(喬太郎本人もよくわかっているのだな)。


   保護司会菊陽支部長 熊谷和信

(39)強盗殺人犯とわりなき仲を描く
「飢餓海峡」

 過日、NHKテレビ「火曜歌コン」にて、石川さゆりが自身の持ち歌「飢餓海峡」を情感たっぷり歌う様に、心揺さぶられる思いでした。この歌は、映画「飢餓海峡」に因んで生まれた歌らしく、娼婦が犯罪者の男を恋情する哀切極まる歌詩となっていました。
 ≪♪ちり紙(し)につつんだ 足の爪 後生大事に 持ってます あなたに逢いたくなったら 頬っぺにチクチク 刺してみる 愛して 愛して 身を束ね たとえ地獄のはてまでも連れてって ・・♪≫
 さて、保護司である私たちは、犯罪者という言葉につい耳目を奪われることが常です。今回、石川さゆりのこの歌を聞いた時も、この犯罪者を素材にとっていることに興を覚えました。映画は、水上勉の小説「飢餓海峡」が原作と知り、早速作品を取り寄せ、一気呵成に読了しました。あらすじはこうです。
 『時は昭和22年9月、青函連絡船が台風10号で沈没という大惨事に会います。丁度この転覆事故の朝、函館の北部岩幌町で大火事が起きているのです。この火災は、網走刑務所を仮出所した2人の男と得体の知れない大男の仕業で、強盗殺人をして、証拠隠滅を図って放火して逃亡するのでした。津軽海峡を小舟で渡る際、巧妙に青函連絡船の遭難犠牲者を装い、大男があの2人を津軽海峡で殺し、盗んだ金を一人占めにし、無事青森に逃げのびます。そこで、偶然遊郭の娼妓に出会い、盗んだ大金をくれるのでした。・・・・』紙幅の関係で、この後は割愛します。映画は、この原作をかなり脚色化されているようです。


  神田みゆき

(25)すべての人が自分らしく輝く世界へ@

一般社団法人 Universe Quest 代表理事の神田みゆきです。おかげさまで、連載も6年目に突入いたしました。ここで改めて、簡単に自己紹介させていただきます。
熊本市生まれ・菊陽町在住12年目。中学校教諭、教育委員会社会教育主事、市職員を経て、「枠を超えて、いろいろな立場の人をつなぎたい」と思い、公務員を退職。
現在は、企業・行政研修講師や学校での講演、イベント開催などを行いながら、代表理事を務めるNPO法人が熊本県から地球温暖化防止活動推進センターの指定を受け、センターの運営などを通じて教育と地域づくりに関わっています。
昨年度までは高校で非常勤講師として化学を教えていましたが、本年度からは、熊本市内にあるWing School(オルタナティブスクール)で中学2年生の理科を担当します。
また、社会人大学院である教育テック大学院大学にて、教育経営学(MBA)を学び始めました。…自称「永遠の18歳」の神田が、リアル大学院生となりました(笑)
そして今年、地震の記憶を風化させず、未来の学びとつなぐ意味を込めて、4月14日に「教育」と「次世代育成」を柱とした一般社団法人 Universe Questを設立しました。
これまで、一貫して大切にしてきたこと、そしてこれからも力を入れていきたいのは、「教育」と「次世代育成」の文脈です。
さて、前回の記事の最後に、「SDGsのその先に、私たちは何をすべきか?」と書きましたが、今年度はそのヒントとなる「IDGs(Inner Development Goals)」を軸に記事を書かせていただくことにしました。IDGsとは、SDGsの“その先”にある、私たち自身の成長を目指す指針です。教育の文脈にもつながる、とても大切な視点です。
次回からは、IDGsの全体像と5つの視点について、順にご紹介していきます。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。


  熊本市  馬場口 一利

(91)台湾の歴史(日本統治時代)

<台湾の各時代>
先史及び原住民時代(1624年以前)
オランダ時代 (1624年 - 1662年)
鄭成功政権時代 (1662年 - 1683年)
大清帝国統治時代 (1683年 - 1895年)
日本統治時代 (1895年 - 1945年)
中華民国統治時代 (1945年 - 現在)

 日本と清のどちらが朝鮮において主導権を持つかという 対立が原因で1894年日清戦争が勃発しました。翌1895年日本が勝利したことで下関条約が締結され、第二次世界大戦が終結して日本が降伏する1945年までの約50年間、台湾は日本の植民地でした。
 現在の台湾は、日本人や日本文化に好意的であることから統治開始から親日であったかというとそうではありません。統治下においては「日本人優位」と「現地住民の日本的慣習同化」に重点が置かれていたことから、漢人系台湾人や原住民からの反発も激しく、双方に多数の死者を出すような大規模な抗日抗争が度々起きていました。また、一方では統治時代の日本人が台湾近代化の基礎を作り上げていったことも事実です。まず、学校教師、医療関係者、警察官などです。また鉄道、道路、水路、ダム、発電所などの社会インフラ整備にも各分野の技師の活躍があります。さらに食糧確保のために熱帯地域でも収穫できる米(蓬莱米)の品種改良や、サトウキビ栽培の産業化など農業分野にも優秀な研究者を投入するなど、日本は多大な労力と資金を注いで台湾開発にあたりました。
このような事実は、いまも台湾の各地に日本人の功績を称えた記念館(碑)や廟(寺院)に祀られて地元の方に大切に引き継がれています。ぜひ知っていただきたいと思います。いずれこのコーナーでお一人ずつ紹介して参ります。

 

 日本統治期の台湾総督府(1919年完成) 
 現:中華民国総統府


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