かいご太郎

 

1026号 2022年1月30日

(1)ポジティブ 介護ものがたり

 皆さん初めまして。私は日本中の介護の疑問を解決すべく日々駆け回る、かいご太郎と申します。これから数回にわたり、私が実際に見聞きしてきた様々な介護問題のうちいくつかを皆さんにご紹介してまいります。
 たとえば読者の方に『小さな子どもを2人抱えていて60代後半の両親がいる』という方はいませんか?そういった方は、ご両親の介護にお金が必要な時期と子どもの進学にお金が必要になる時期が被ってしまうという可能性があります。『最近物忘れが多くなり認知症が気になる』という方はいませんか?『子どもの負担になりたくないから安い金額で面倒を診てもらえる介護施設を知りたい』という方もいるかもしれません。このコラムでは難しい言葉をなるべく使わず、自分や家族が介護状態になったときに必要なことをできるだけ詳しくお伝えしてまいります。
 今は若い自分にも、将来は必ずと言っていいほど介護状態は訪れます。平均寿命はおよそ85歳。そしてそれまでに介護状態になる人の数は何と60%を超える『超高齢化』を迎えた日本。大型の台風が接近したときに食料や懐中電灯を準備するように、来ないかもしれないけれども来た時に困らないように介護の準備をしておいた方がいいかもしれない。このコラムを読んだ何人かの方がそう思っていただけると幸いです。
 ポジティブ介護ものがたり。どうぞよろしくお願いいたします。


1030号 2022年3月27日

(2)

 大好きだった父が3年前に急逝し、10歳離れた妹はその翌年に関東の大学に進学した。残された私と母の2人、同じ屋根の下で暮らしてはいるものの、風呂に入るとき以外ほとんど2階の部屋から出る事が無い私と、1階の和室を自室に使っている母とが顔を合わせる事は、この2年ほとんどなかった。そんな母の様子がおかしいと、久しぶりに帰省して来た妹が言った。
 母が何度も同じ話をするのだという。最初はふざけていると思ったそうだが、話す態度は真剣そのもので、何度も同じ話題を笑いながら話すという。『おかしいと思わんだった?』と聞かれても、私にはわからない。でも妹と母と3人で出かけたとき、私も母の変化を目の当たりにして驚いた。急にそわそわしだした母が『財布が無い。誰が盗ったとだろか?』とつぶやいたのだ。
 家族3人水入らず、今日は私がご馳走するからと早めに仕事を切り上げ、昔家族でよく訪れた蕎麦屋さんに来たのだ。『お母さん、今日は姉ちゃんのオゴりだけん、財布は家に置いてきたでしょ?』妹に諭された母が『そうよ』とあっさり返事する姿を見る笑顔の妹の目には涙が溜まっていた。
 古希を過ぎても健康な母にはかかりつけの病院も無いし、相談できる身内もいない。妹は大学生だし、私は誰に相談すればいいのだろう。と、悩んでいた時、スリーピースのスーツをバリっと着こなす「かいご太郎」と名乗る男性が私の前に現れた。 
 次回に続く


1034号 2022年5月29日

(3)

 あの日、かいご太郎は『地域包括センターに行って話を聞いてもらったらいかがですか?』と勧めてくれた。初めて聞いたその施設は、介護に直面したときの“よろず相談所”なのだという。知らなかったが、熊本市では『ささえりあ』という名称で呼ばれ27箇所もあるらしい。早速ささえりあで私は、母が認知症になったかもしれないと話をした。すると、相談員さんは親切に教えてくれた。
 高齢者は人と関わりを持たなくなると、認知症だけでなく色んな病気になったりすることがある。実際に認知症になったことが分かれば介護サービスのプランを考えて、場合によってはグループホームなどへの入所も検討すべきかもしれない。でも、日常生活に支障が無く、自立して生活が送れるのであれば、同居人の私がなるべく母に寄り添い、母が今できる事を続けられるように、できる事を取り戻せるように手伝うことが一番なのだという。
 実際に今ではほぼ毎日、私は母と台所に立ち、母の手料理を教わりながら夕飯を作っている。母には最近『あんたも早よカレシどん作って母さんば喜ばせてよ』という冗談と一緒に笑顔が戻ってきた。相変わらず同じことを何度も話すし、物忘れは多い方だが、今では母が認知症になったとしても不安にはならない気がする。その時はまたささえりあで相談すればいいし。
 今度かいご太郎に会った時は、グループホームについて教えてもらおう。
次回に続く


1038号 2022年7月24日

(4)

 結婚して10年。私たちには子供がいない。お互いの時間を大切にしたいという理由から子供は『作らない』と夫婦で決めたのだ。それから最近はもう一つ『作らない』理由がある。2年前に義父が亡くなり、一人暮らしになった義母と同居しているのだ。葬儀の後の親族会議で、高齢の義母の面倒を誰が看るかという話になった。夫は三人兄妹の長男。妹は東京に嫁いでおり、弟夫婦には子供が3人も居るという理由から『じゃウチで一緒に暮らそうか』という夫の一言でそうなった。義父の四十九日が過ぎて夫の実家に義母を迎えに行ったとき、私は“ああ、人ってこんなに短期間で老け込むものなんだ”と驚かされた。
 共働きなので、昼間はヘルパーさんに見守りをお願いすることにした。夜は夫婦でヘルパーさんの連絡ノートを読むのが日課になった。義母は私の料理が好きだと良く褒めてくれているようだ。確かに義母は私の料理をいつも『美味しい』と褒めてくれる。
 ところが1年ほど前から、義母はあまり食事をしなくなってきた。『最近、何を食べても味がしない』『においもあまり感じない』と言うのだ。『せっかく美味しい料理を作ってくれたのに、ごめんなさいね』と謝ることが多くなった。持病のリウマチで趣味の俳画もできなくなってからは義母にとって唯一の楽しみが食べる事だったのに、と、私はとても心配になった。
 それから間もなく事件が起きた。  
次回に続く


1042号 2022年9月25日

(5)

 ある日、連絡ノートに目を通していたら『今日は家に上げてくださるまでに時間が掛かりました』という書き込みがあった。息子さんから依頼されてお伺いしているヘルパーですと伝えても、「どちらさん?」と警戒して、15分ほど玄関でやり取りがあったらしい。どうやらヘルパーさんの顔がわからなくなってきたようだ。夫にそのことを伝えると、「自分だって新入社員の顔を覚える事が出来ない。年寄りがヘルパーの顔を忘れるなんて普通だ」と取り合ってくれなかった。
 それから数日後、連休を利用して夫の妹夫婦が義母に会いに来た。手土産のローヤルゼリーを「いつも高価なものをありがとう」と喜んで受け取る義母は嬉し涙を流していた。ところが、夫が妹たちを空港まで送り、私と二人で留守番をしていた時、義母はローヤルゼリーの瓶を持ったままトイレに入った。出てきたとき瓶の中身は空っぽになっていた。どうして捨てたのと聞くと、義母はケロッとした顔で「何が?」と返事した。
 更に数日が経ち、疲れて帰宅した私の顔を見た義母は「あた誰かいた!」と聞いてきた。一呼吸おいて落ち着いて、丁寧に自己紹介をした私に「泥棒かと思って驚いた」と言って笑う義母。とうとう来たか、というのが私の印象だった。自室に戻った私は、義母に「あなたは誰だ」と言われた時の対処法を教えてくれた“介護太郎”という男性の名刺がしまってある引き出しを開けながら大きなため息をついた。
次回に続く


1046号 2022年11月27日

(6)

 介護太郎の名刺に書いてある電話番号に電話をかけ、とうとう義母から『あた誰かい!』と言われたのでお電話しましたと伝えると、彼は電話の向こうで「ふふ」と笑い、「じゃあこれから、ご主人への接し方を中心にお話しします」と口にして話し出した。
 「ご主人には会社を休んでもらい、お義母さんを病院に連れて行ってください。必ず二人で連れて行ってくださいね。病院では認知症テストを受けることになると思います。診断結果次第で、お義母さんは『何て失礼な医者だ』という反応をするかもしれませんが、すぐに忘れますので安心してください。診断結果をご主人に突き付けて『ほら見てごらん!お母さんは認知症たい!』なんて言うと、ご主人はお義母さんの介護に対して後ろ向きになりますのでやめてください。『これまであなたの事を守ってくれたお義母さんを、これからはあなたが守ってあげる番ね。私もできる限り応援するし、手伝うからね』と言ってあげてください。そうすると、ご主人はお義母さんの介護にポジティブになります。これまで奥様がお義母さんの異変を伝えても聞く耳を持たなかったのは、ご主人に“もしかすると”という気持ちはあったけど、自分の母親がボケたなんて信じたくなかったからです。マウントとって『そら見たことか』と言うとキレますが、優しく『手伝うわ』と言うと『俺も頑張るよ』と笑う。男は面倒臭い生き物です(笑)」。次回に続く


1050号 2023年1月29日

(7)

 病院の帰り、車の中で『私の事ばボケとるて、何ちゅう事ばいいなはるどか』と機嫌が悪かった義母だったが、夕食のときはもう機嫌よく食事をしていた。夫が『今日は疲れたろけん、早よ寝ったい』と声を掛けると『社交ダンスに行ったけんね』と、ありもしない楽しい出来事を口にして義母は床に就いた。その晩、夫はこんな事を話してくれた。
 自分はお袋がボケたとは思いたくなかった。昔から気丈な人だったし、いつまでもしっかりしていて欲しいという願望でお袋と接していた。最近忘れっぽいなぁとは思っていたが、自分の中にある“しっかりした母親像”を壊したくなかったのかもしれない。君には大変な思いをさせた。すまなかったね。と。
 夫は職場に移動願を出してくれて、早く帰宅することが多くなった。おかげで最近は三人で夕食を食べる機会も増えてきた。義母が好きな茄子の煮びたしを作ってあげると、『あらー美味しか。あた良かお嫁さんになるばい』と、既に自分の息子の嫁である私の事を褒めてくれる。夫と二人声を出して笑うと、不思議そうに私たちを見た後で義母もふふと笑う。なんだか近頃我が家は明るくなった気がする。いつも貴方が笑ってくれるから。食事の後、テレビから懐かしい昭和歌謡が聴こえてきたとき、『お父さんが好きだった曲やね』と目を細める貴方が今日も笑顔で良かった。明日は介護太郎に御礼の電話を掛けようと思った。
新エピソードに続く


1054号 2023年3月26日

(8)

 仕事中は家族からのメッセージ開封は後回しにするのだが、最近めっきり少なくなった息子からの LINE が嬉しかったので歩きながら読むことにした。小学生の頃は、どうでも良い内容のメッセージをしょっちゅう送ってきていたのに、思春期なのか?などと考えながら含み笑いで読んだメッセージに、私の笑顔は引きつったと思う。「じいちゃん余命半年らしいよ」。
 父と私と中3の息子の3人暮らし。29歳で離婚した私が、小学生の息子と実家に戻って来た時「おかえり」としか言わなかった父。その3日後の日曜日「俺も仕事しよるけん、こいつにも携帯ば持たせにゃんね」と、息子にスマホを買い与えてくれた。
 お酒が大好きで、病気になってもアルコール消毒で治すと豪話していた。定年退職後は病院に行くこともほとんどなかったのだが、便秘が続き、市販薬が効がないからと近所の内科を受診したとき、お医者さんから「ちょっと大きな病院で検査しましょうか」と大学病院を紹介されたのが1週間前。そして久しぶりに早く帰宅した息子に、父は笑いながら「末期の大腸がんと告知された」と話したそうだ。
 あんなに元気な父が半年後この世らいなくなる?私の頭は真っ白になった。
続く


1058号 2023年5月28日

(9)父の目線

 定年退職目前に娘が孫を連れて帰ってきた。我が子はいくつになっても可愛いものだし、孫と一緒に生活できるのも嬉しい。離婚には言及せず『おかえり』とだけ言ってやった。数年が経ち、無事に定年を迎えてみるとやることが無くて暇でたまらない。好きな事といったら酒を飲むことくらいで趣味の一つもない。テレビにも飽きたし、インターネットでもやってみるかと思い立った。孫にスマホを買ってやると言って携帯ショップに行ったのは『ついでに俺もスマホにしようかな』と言うためだった。スマホは便利だ。SNSは楽しいし、Youtubeも観る事が出来るようになった。しかし私が一番驚いたのは写真と動画の撮影が驚くほどに簡単なことだ。画質も素晴らしく、もっと早くにスマホにしておけば良かったと後悔した。
 3カ月ほど前から便の通じが良くない。市販薬が効かないので病院を受診したところ、精密検査をすることになった。数日後、検査結果を聞きに行くと医者から『ステージ4の大腸がんです』とアッサリ告げられた。ステージって何だ?そういえば、病名告知の意思表示「本人に直接」にチェックしたっけ、などと、やけに落ち着いていたのを思い出す。
続く


1062号 2023年7月23日

(10)孫の目線

 中3になって、周りは塾に行き始めるやつが増えてきた。そんなに高校に行きたいか?みんな何のために進学するんだろう。疑問に思うけど別に聞こうとも思わない。部活は面白くないから辞めた。だから毎日、学校帰りにはいろんな所に寄り道する時間が出来た。あの日の放課後も学校の正門を出て一つ目の信号を曲がったところでスマホを取り出した。珍しく爺ちゃんからLINEが届いている。『スイカば買った派よ変えれ』変換ミスの文字にウケる。爺ちゃんは優しい。口数は少ないけど俺の事は何でも知っている。部活を辞めた事にも気付いていたようだし、スイカが好きな事も言った事は無いのに知っている。欲しかったスマホも爺ちゃんが買ってくれた。『OK』と返事して、今日はまっすぐ帰宅することにした。
 スイカを食べながら学校生活や勉強の事を聞いてくる爺ちゃんに適当に相槌を打っていたら、急に『爺ちゃん、手術ばせなあと半年で死ぬげな』と言われた。は?と気の抜けた返事をすると『大腸がんてったい』と笑顔で告げられた。大腸がんって、何だっけ。死ぬってどこかに行くって意味よね。頭がこんがらがってスイカの味が全くしなかった。
続く


1066号 2023年9月24日

(11)孫の目線A

 帰宅後、父から改めて病気の事を告げられた。定年後は昼間から酒を飲み、一日中ゴロゴロすることも多かった父に、自業自得たい!と言ってやった。医者から止められているにも関わらず毎日晩酌する父。お酒を隠しても、次の日には新しいものを買ってくる。もう財布は私が預かる!と、父からお金を取り上げてやった。出来るだけ父に長生きして欲しいという思いからの行動なのに『旦那にもそぎゃんこつばしよったっだろ?だけん逃げらるっとた。はっはっはっ』と笑われる。自分も母さんに出て行かれたくせに!と言い争っていたら、『まぁまぁ。どっちもどっちたい』と息子が止めに入る。一番冷静なのは息子かもしれない。息子よ、有り難う。
 病院での治療法の打ち合わせに同席した際、父が『無駄にガンと闘う気はない』『最後は自宅で過ごしたい』という考えだという事を知った。がん保険から2,000万円近い金額が振り込まれたのだから色々な治療を試せばいいのにと思ったのだが、本人にその気は無いので仕方がない。という事は近い将来、在宅治療が始まるワケか。
 私は、以前ゼミナーで話を聞いた“かいご太郎”という男性の名刺を取り出し、電話をかけてみた。

続く

 

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